ぼくにとって走るということ

世間の走ることに違和感ある。走るって健康とか目的達成とか、余計なことが多すぎる
好きに動いて考えて楽しむ素敵な時間を共有したい
僕たちは走る義務がない世界にいる。だから好きに走っていい

悩むなら走ろう

走ると自分と会話が出来る。自分との会話は何かの進歩を見せてくれる。
悩みながら走っていれば、ずっと考えることだろう。逃げられないだろう。
その中でふとしたすれ違い、入ってきた言葉、思考のひも付きが決定的なヒントを出すことは多い

走る人をつまらない人と思わないでくれ

走るだけって、端からみると、哀れなぐらい単調だ。
でも、本人としては違ってて、いつも工夫してて、それが分かりにくいだけ。うまく走るってとっても奥が深いね

シューズメーカーがランニングを殺してる

なぜ、シューズメーカーは効率的にランニングの恩恵を受けられる、ベアフッドを普及させないのだろうか?

ランニングは全体運動で、ベアフッドはソールがないから、ふくらはぎが大事になる。膝に負担がかからない。真面目に体をよくしたかったら、誰が何をいっても最小時間で最大効果を追い求めるほうがいい

でもメーカーは初心者にふわっとしたソールのランニングシューズをお勧めしている。あれは膝や腰の痛みにウェアを売って、それがダメならトレーニングとマッサージ。どうかしてる

僕は5年ぐらい前、この靴を選んで人生が変わった。でも店員は「上級者向け」とオススメしなかったけど、これが正しいと思うよ

走るのは極めて個人的行為

走ることに関心ない人、特に昔マラソンとか付き合いで参加してトレーニングとかして、それでやめちゃった人にぜひ伝えたい。いいじゃん、走れなくても。力無くても

走ることは極めて個人的な行為だ。風呂入るみたいに誰に言うことでもない。接待も人事も関係ない。

マラソンとか参加しないのは、誰かに強制されて走るから。誰かの何かに迫られる運動なんて、ストレスだよ。そこストレス与えて意味がある?なんて思ってる。

自分のために運動しよう。

運動音痴の運動入門

僕は運動が苦手だ、特にチームスポーツは大嫌いだ。走るのも遅かった。運動なんて人にアドバイスする資格ない。でも、走ることにそんなコンプレックス必要ない

全ての人は、食事や、お風呂や、排泄同様に、運動も上手である必要はない。でも楽しむ権利はある。いつだってやりたいスポーツをトライする権利はある。そしてそれは健康増進の一環でもあって、誰も否定しちゃいけない

初心者が下手だからってやることに怒ったり、笑うって、悲しいことだと思う。でも学校で運動すると、足が遅いとかで怒られたり、笑われたりする。本当はそれって、笑うほうがおかしい、恥ずかしいことだと思う

・・・そして、やりつづけるといいこともある。例えば、最近子供の運動会のリレーで活躍しちゃったりすると、めちゃ嬉しい、子供のころ足が遅くて足手まといだったからね。走り始めたの40歳ぐらいからで、しかも超適当なのに

つまり今すぐ全然変われる

正直に言うと、僕の脂肪はそんな減ってない、食べるの好きだし。

でも、背筋や腹筋は変わる。激しい運動がもとめる呼吸をしてれば体型が必ず変わる

体型が変わると、ショップに行くと、サイズが違う、着てても似合う。服を選ぶのが楽しくなる。自分の新しい表現をみつけられる。

第一印象は服じゃない、体だ。いい体は何も試せる。今の時代、余計なものを必要としない

運動は下手でも運動を楽しむことは誰でもできるよ!!

というより、食事同様、運動も誰でも楽しめなきゃいけないよ!

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ejtter

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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