ぼくにとって走るということ2018改定

ぼくにとって走るということ2018改定

世間の走ることに対するイメージには違和感がある。

走る目的に「健康」とか「目的達成」とか、余計なことが多すぎる
そんなのはどーでもいいこと。私は走ることで得られる、好きに動いて考えて楽しむ素敵な時間を共有したい。

大前提だが、ランニング〜とかジョギング♪とか言ってる輩には走る義務はないのだ。
僕たちは走る義務がない世界にいる。だから好きに走っていい

悩むなら走ろう

走ると自分と会話ができる。自分との会話は何かの進歩を見せてくれる。
悩みながら走っていれば、ずっと考えることだろう。逃げられないだろう。
その中でふとしたすれ違い、入ってきた言葉、思考のひも付きが決定的なヒントを出すことは多い

走ることは考えることだ

この言葉をあるムックで見つけなければ私はいま走っていない。走ることは考えることなのだ。座禅を組むつもりで向き合うといい。

走る人をつまらない人と思わないでくれ

走るだけって、端からみると、哀れなぐらい単調だ。
でも、本人としては違ってて、いつも工夫してて、それが分かりにくいだけ。うまく走るってとっても奥が深いね。

でも健康とカロリー消費のために走ってる人もいる。つまらなそうな人もいる。マラソンにチャレンジする人もいる。すべて本人の自由なのだが、自分と会話する時間だと思うと、得難い気付きに出会える。これを知らずに走るなんて、つまらない。

ま、走ってたらどれもつまらなそーな走るおっさんだけどね。でもとてもエンジョイしてる走るおっさんもいることは知っててね。

シューズメーカーがランニングを殺してる

なぜ、シューズメーカーは効率的にランニングの恩恵を受けられる、ベアフッドを普及させないのだろうか?

ランニングは全体運動で、ベアフッドはソールがないから、ふくらはぎが大事になる。膝に負担がかからない。真面目に体をよくしたかったら、誰が何をいっても、このほうが体への適切な負荷があがるのだ。私はマラソン選手ではないので、最小時間で最大効果を追い求めるほうがいい。

でもメーカーは初心者にふわっとしたソールのランニングシューズをお勧めしている。あれは膝や腰の痛みにウェアを売って、それで疲労したらトレーニングとマッサージ。膝が行かれたら病院。どうかしてる

僕は5年ぐらい前、この靴を選んで人生が変わった。でも店員は「上級者向け」とオススメしなかったけど、これが正しいと思うよ

走るのは極めて個人的行為

走ることに関心ない人、特に昔マラソンとか付き合いで参加してトレーニングとかして、それでやめちゃった人にぜひ伝えたい。いいじゃん、走れなくても。力無くても。

走ることは極めて個人的な行為だ。風呂入るみたいに誰に言うことでもない。
接待も人事も関係ない。

私がマラソンとか参加しないのは、誰かに強制されて走るから。誰かの何かに迫られる運動なんて、ストレスだよ。そこストレス与えて意味がある?なんて思ってる。

自分のために運動しよう。

運動音痴の運動入門

僕は運動が苦手だ、特にチームスポーツは大嫌いだ。走るのも遅かった。

運動なんて人にアドバイスする資格ない。
でも、走ることにそんなコンプレックス必要ない

全ての人は、食事や、お風呂や、排泄同様に、運動も上手である必要はない。でも楽しむ権利はある。いつだってやりたいスポーツをトライする権利はある。そしてそれは健康増進の一環でもあって、誰も否定しちゃいけない

初心者が下手だからってやることに怒られたり、笑われるのって、悲しいことだと思う。でも学校で運動すると、足が遅いとかで怒られたり、笑われたりする。本当はそれって、怒る笑う人のほうがおかしい、彼らが恥ずかしいことだと思う。はいはいする赤ちゃん怒って笑って楽しいなら相当精神状態がおかしい。だから運動しようとする運動音痴は、彼らを心でわらって放置すればいい。

・・・そして、やりつづけるといいこともある。例えば、最近子供の運動会のリレーで活躍しちゃったりすると、めちゃ嬉しい、子供のころ足が遅くて足手まといだったからね。走り始めたの40歳ぐらいからで、しかも超適当なのに

つまり今すぐ全然変われる

正直に言うと、僕の脂肪はそんな減ってない、食べるの好きだし。

でも、背筋や腹筋は変わる。激しい運動がもとめる呼吸をしてれば体型が必ず変わる

体型が変わると、ショップに行くと、サイズが違う、着てても似合う服が見つかる。服を選ぶのが楽しくなる。自分の新しい表現をみつけられる。

第一印象は服じゃない、体だ。いい体は何も試せる。今の時代、余計なものを必要としない

運動は下手でも運動を楽しむことは誰でもできるよ!!

というより、食事同様、運動も誰でも楽しめなきゃいけないよ!

2018.8.19少し改変