JazzじゃないよDubだよ

ちょっとまえにJazzについて記事書いたのだけど、もうJazzはやっぱり残念ながら終わったと思う。これからはDubだよ。

Jazzは楽器を使い最大限のパフォーマンスとパワーを見せて観衆を感動させる。とても自由な音楽なのだと思う。それは素晴らしく、魅力的だと思う。Blue Giants を読んだりLa La Landを見て、Jazzはおじさんの偏屈な音楽だと思っちゃいけないということはよくわかった。いいなと思う。でも、Jazz聴こうって気になってない自分がいた。ちょっとは聞くけど、フリースタイルのセッションとかライブに行こうと衝動がおきない。多分、その凄さが分からないと楽しめないし、申し訳ない気がするからだ。すべての芸能は素晴らしいと思う。大変な努力がいるし、そして人々を感動させる。分かる人は。能だって猿楽だって神楽だって相当の技術とエンターテイメントがつまっているはずである。でも、分かる人がいないとその芸能は消える。音楽だってそうじゃないかなと思う。

Dubとはdubbingからはじまる。つまり複製である。なんで複製するのか?ジャマイカの音楽ビジネスを話さないと進まない。

もともと著作権がないジャマイカから始まった。当時ジャマイカでは8インチのレコードで音楽を販売してたが、全部聞かせたら誰も買わない。パクリ放題なのだ。そこで裏面にVersionという謎のカラオケバージョンがあり、そこに歌詞なしの音楽(アカペラの逆ですね)を流してた。カラオケみたいなものだ。

そして販売する人はサウンドシステムという、車にレコードプレーヤーとスピーカーを載せた宣伝車だった。彼らは売るためにVersionを流しながら「これ、歌詞ちょーいいよ!!もうみんな感動するし!買わないやつはルードボーイ(なんだろヤンキーみたいなんでいいかな)じゃないよ!」とマイクで顧客に語りかけた。それがトースティングなんていいかたもされ、アメリカにいってラップになったという人もいる。

まあ、著作権もないジャマイカでパクられずに音楽をうるために始まったVersionが、サウンドシステムによって意外にも独自の進化を遂げた。日々の悩みや感想などをVersionに乗せたほうが面白いと、この「バナナ売りのウリ文句」みたいなものが急にもてはやされるようになった。

そうすると、エンジニアと呼ばれる人たちがVersionにこだわり始める。彼らはそういう音楽をつくる専門家だ。むかしは聞かせたい音楽を聞かせないためのカラオケだったが、その音楽がいろんな可能性を生んでくれる。そこで貧弱な機材の中でいろんな工夫をし始めた。ボーカルのある音楽ではできない、伴奏のリメイクをはじめたのだった。

そこでdubbingである。録音した音楽をもう一度ずらして再生してエコーをつくったり、特定の音を強調して録音しなおしたり、違う音を加えたり、へらしたり。そうやってアナログでできる範囲で色んな音を入れていった。Dubを聞くと気持ち悪いぐらい静かだったり、攻撃的なぐらいうるさかったりする。そうやって元の音楽を変化させて、そこに楽しみを見出してのだと思う。

で、結論だけど、これからの音楽はDubだと思う。楽器がすごいのは、もちろんそりゃすごいことではあるんですけどね、打ち込みで作ればできることのほうが多いだろう。だからアレンジメントの独創性や調和のほうが重要になって、それってDubだと思うのです。録音した音楽をどうアレンジできるか。どうすれば面白くできるか。そのためにどんな演奏を求めるか。そうなってくるはず。だから、Jazzがんばるより、Dub頑張ったほうがいいです。

アレンジできるやつが多分これから成功します。

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ejtter

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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