大地の芸術祭に行きたかった

大地の芸術祭に今年は開催期間中に行きたかったが、どうやら今年は行けなそうだ。昨日まさかのカンボジアでベネッセの方とお会いして、感謝の気持ちを伝えていてやっぱり行きたかったな、と思った。

最初大地の芸術祭に行ったのはまったくの義務感からだった。

日本ウェブデザイナー協会で理事をしていたころ、理事メンバーでスポンサーしてくれているベネッセさんの開催する大地の芸術祭に「行かなければならない」という業務だった。最終日に行くとのこと。

そもそもデザイナーの協会、私デザイナーじゃない、なんだろうと思ってはいたのですが、

新潟に日本酒とお米食べるためだけにしょーがないから行こうか

と思っていったのだった。大地の芸術祭最終日。作家さんもたくさん集まり、しかも話もしていただける貴重なタイミングだったのに、酒とコメしか考えなかった・・・

しかし行ってみてたくさんの作品を見ていてまいってしまった。

とにかく意味がない

売上もユーザーもROIもない。これが何を意味するのかも作品しか答えがない。

そこにまいってしまった。

自分の表現したいことを表現するだけ。そんな純粋なことにこれだけのエネルギーをかけるのか、と呆れると同時に感動してしまった。

当時「脱皮する家」を見に行ったとき。家全体を彫刻刀で削り取った作品の中に入り、禍々しさすら感じた。その後作者の日本大学芸術学部絵画学科彫刻の先生にあったら、いたって健全な先生で、当時この作品のアイデアを関係者につたえたところ、「あ、板彫刻刀で削って家に貼りまくるのねー」ぐらいの軽いレスポンスだったので、カチンときて家を全部解体して学生全員で全部彫り抜いた、と。

それだけか(笑)!

でもそのために膨大な労力をかけ、設計し実現してしまうパワー。お金もウケ狙いでもない
その力、クリエイティブのちからってすげーなーと。

くらべて私なんて、とってもつまらない、とも思った。日々やってることは人を意識して意図を持ってうごいている。こんな自分の思いだけでがんばれない。

全然このバカみたいな努力とチャレンジにくらべると、どうにも簡単だ。まだまだ私もなにかできるんじゃないか、と。

私はもっといろいろできると、エネルギーをもらうことができた。

アートを見るとエネルギーが湧く。表現する勇気をもらえる。

それから私はモダンアートが好きだ。アートは「美しい」だけだけど、モダンアートは怖いとか気持ち悪いみたいなものも含む。そして何をどう解釈するかも自分の勝手。そこが自由だ。その表現の無限の可能性、感じるたくさんの感情。これは表現できない感動を与えてくれる。

そして作品はたくさんある。好きなら見ればいいし、分からねればスルーすればいい。すべては自由だ。「これは意味がない!」とか言ってる事自体に意味がない(笑)

その後瀬戸内芸術祭も行く機会に恵まれた。息子と2人で行った。

子供にモダンアートを見るのもおすすめだ。

瀬戸内の船にのって、島の町並みを歩き、作品を見て、さらに歩く。

「アート」がなければ絶対にここに来ることはなかったろうと思う。

その過程も大事だった。そして息子と、あと何回こんな環境で歩けるだろうと思った。

作品は映画と比べて、短時間にたくさん見れる、クリエティブの力をたくさん見せることができる。それは他の体験より何十倍も濃いし、広がりのある体験なんじゃないかと思う。

そして私のライフワークにも関わるけど、それは今度。

こんなプロジェクト車で数時間行けば見れることは幸せなことだし、ずっとあるかもわからない。だからできるだけ行きたいなと思う。スポンサーしてくれているベネッセに感謝。

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.