去年ラスベガスのクラブに行く機会があり、日本のクラブとはいろいろレベルが違うことを思い知らされた。久しぶりに音楽にあわせてゆらゆらしながら、高校生の頃を思い出していた。ヤマもオチもなく書いてく。
多分ディスコではないクラブというものが誕生したころ、わたしは高校生だった。
ヒップホップはまだほとんど日本人で活躍する人は少なかった。スチャダラパーがインディーズで、その前の時代のラッパーとして高木寛が大物だった。あと漫画で爆笑だ!のECDとか(タイトルしか覚えてなくって検索してしまった)。
当時、レゲエは大御所がNarkiとかランキンタクシーだったけど、そこからChappyとかができてた頃。どうしてるのかな?ってググったら本人のブログがあった。インターネットすごいね(笑)当時「すごい本物のジャマイカの人みたいだ!」と驚いたのを覚えてる。あと体格の割に7インチの扱いがとっても丁寧な、神経細やかな人でした^^。
当時のクラブはほとんど残っていない。
表参道のmixはよく行ってたレゲエ中心で、金曜の夜は本当に混んでいた。ライターの火がつかないほど(今やってるのかな?ライターの火打ち石チカチカさせたりするの)。酸欠で危険だったのかもしれない。でもそれより危険なのは外人さんで、担いでお持ち帰りされる女性もいた(で外国人禁止も人種差別になるからできなかったと聞いた)。この金曜はレゲエばっかり流れてたクラブの情報はウェブに全然ない。これぐらいかな?
あとミロスというクラブが、花園神社にあった。神社にクラブがあったんだけど誰も信じてくれない。でもあったんだよ信じて。
月曜休みの美容師ナイトとかあって、当時は美容師はみんなレゲエを聞いてた。なぜか当時美容師はみんなレゲエが好きだったんだよ。
ほんとなんだよ。これも信じてくれなさそうだけど。
ミロスといえば、パンクとオールディーズとヒップホップで跳ねまくる大貫顕彰のロンドンナイトは楽しかったが、鬼ごろしのパックの日本酒をもって飲ませ回るから高校生のわたしたちは逃げ惑ってた。当時は高校生もなんとなくクラブやディスコに入れたのだ。
あんなアナーキーな人死んでんだろうと思ったら、生きてた(笑)。なんとクイーンを広めた人らしい。やっぱりとんでもない人だったんだ。当時はその凄さも分からず楽しいと言われて何とか年齢詐称して入ってた。
振り返れば鬼殺し飲んどきゃよかったかもなー。
そんなこと思い出したのは、鷹野さんからCSS Niteの由来を聞いたときから。
アレ?ロンドンナイトってLondon Niteだったけ?と思ったらそうだった!あの頃カタカナでしか覚えてなかった!!いまCSS Nite参加する人でLondon Niteのロカビリーやらビースティーボーイズで跳ね回ってた人いるのかな?
あと藤原ヒロシはもうすでに大御所だった。でもってぼくらド素人には彼の凄さは全然分からず、つまんない曲を流してる印象だったらしい。でも彼は「どうせ日本人はクラブに踊りに来てないんでしょ?」と言ってたらしいけど、わたし彼のイベント言ったことなかったから分かりません。
でも、とても藤原ヒロシそっくりな、のりのいい人がいると聞いててニゴーニゴーと言われてた人が、すごいブランド作ってると社会人になってから聞いて、びっくりした。当時はMilkとかMilkboyみたいな異常に高くて壊れやすい原宿のブランドに女の子はたくさんお金使ってた。ムカつく客には服に触れただけでお買い上げしなきゃいけなくなるって、とんでもないこと言ってた。ビビアンも理解不能だった。どうやって着て、どうやって脱ぐんだと思ってたなぁ。でもってアローズが好きな子があろーずあろーずあろーず店員の話しかしてなくてイライラするみたいなこと言われてた。アローズ、あんなでかくなるとは。
当時、私は進学校だったんだけど、全然成績良くなかった。金曜日は友達と買い食い禁止の新大久保の学校からドヤ街の新宿を抜けて代々木までとぼとぼ歩いて、じゃんがらラーメンかシェーキーズでピザかじって、そのまま渋谷まで歩いた(どんだけ歩くんだと今は思う)。その流れでレゲエが好きでクラブ忍び込んだり、宮下公園とか行ってスケボーしてた。一方でシュミレーション同好会でオタクなTRPGで遊んだり、軽音楽部でパンクにバンドやってたりしてた。ラフィンノーズとかコピーしてたんだよなー。あれでもLondon NIghtという歌あったな。
あー恥ずかしい。
恥ずかしいけどあんまり情報ウェブになさそうだから、ちょっとはシェアすると役に立つかな。