機能体が機能を失うと「がん」になる

機能体が機能を失うと「がん」になる

この本も古本しかアマゾンではないのか。堺屋太一の「組織の栄衰」はとても勉強になった本で、組織のあり方と、日本軍の敗戦までの推移を引用しながら、日本の組織の問題点を問う、ぼくは一番腑に落ちた本だった。これが普通に書店で買えないとは惜しい。

この本で私が今日取り上げたいポイントは組織には2種類あるということだ。
機能体と共同体

機能体と共同体

機能体は消防隊や軍隊や警察など、解決すべき目的がある外に組織を指す。このような団体は目的がその組織の外(国民の安全や戦争での勝利)があるため、組織のベクトルは外部に向かう。いかに国民を守るか、いかに戦争に勝つかというベクトルで組織の構成者は考える。

共同体はムラや町、国家など、解決すべき目的がその存在にある組織を指す。たとえば国は国民の幸せだろうし、村は村人の幸せである。だから共同体はベクトルが内部に向かう。いかに自分たちが幸せになるかの追求で組織の構成者は考える。

どっちがいいとか悪いとかではなく、組織の目的の違いやあり方の違いなのだが、コミュニティーにも機能体と共同体があると思う。

サッカー部は機能体でサッカーサークルなどは共同体だろう。サッカー部では試合に勝たない選手はその選手がつまらなくても仕方がないし、過酷な練習でスキルアップしても、参加者が離れてしまうサッカーサークルはいい評判がうまれないだろう。

機能体の共同体化

そして堺屋太一がなぜ日本の官僚や企業が硬直化し、死に至る病として3つあげている。「成功体験への埋没」「機能体の共同体化」「環境への過剰適応」である。

  • 「成功体験への埋没」
    成功体験を金科玉条にして、思考停止して成功体験と同じ方法を失敗しても繰り返すこと。古くなっても認めず固執すること
  • 「機能体の共同体化」
    機能体だったはずの組織が自己正当化して、自己の満足、幸福を目的として正当化や拡大を目指すこと
  • 「環境への過剰適応」
    短期的な変化に過適合して、長期的な方針や目的を見失ってしまうこと

この機能体の共同体化はどんな組織でも起きうることで、自分たちの活動を美化しているうちに、その存在が外的ベクトルより重要であると思い込んでしまうことである。

機能体が機能を失うと「がん」になる

私は機能体は機能体であるほうがいいと思う。でも機能体はよく、共同体的になり、役割を果たすことより自己保身と拡大を目標としてしまうことがある。これが官僚や大企業が陥る機能体の共同体化である。

これも多少は合理的なこともあって、機能体として機能を発揮するために規模や予算やパワーが高いほうがよいこともあるだろう。しかしそれが常態化していくうちに、自らの利権や規模や組織の成長が至上命題になってくる。これが組織の盛衰で書かれている、日本の組織が陥りやすい病なのだ。

機能体として機能しない共同体を人間の体では「がん」という。機能体は機能体であることを見失い、共同体として自己保身、拡大を目的としていたら、それは機能体が「異常」を起こしてると思ったほうがいい。