謙虚になると正しく力が入る

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今年に入っていきなりエネルギー切れになるように休むことがしばしば起きている。前日夜中まで会食で翌日動けないとか、ほんと社会人失格なのだが去年までなかったことだった。自分の衰え、限界を感じている。

理由は明確で、やるべきことが増えて、能力が少しづつ落ちているからだ。それを効率化や人に任せて埋めてきたが、特に増える量と効率化が十分にできていないため仕事で周りに迷惑をかけていることが今年になって増えてきた。

もうこれから劇的に能力があがることは多分ない。できることは経験によって要領を良くすることだけだ。その中でこの頃よく思うことは謙虚になるしか正しく力が入らない、ということだ。

人には得意不得意があり、得意なことをどんどんやるほうがいいに決まってる。ボールを早く投げられるならプロ野球選手になるべきだし、数学が得意なら数学者になればいい。でも得意なことほど、さらに上の異次元の才能をもった人もいるし、その人達の中で頭角を現すことは容易ではない。私自身はどの能力をとってみても、そのような専門家の中でトップと言える能力はなかったと思う。まあアクセス解析やウェブ解析ではそこそこできる方だとは思うけど、昔は石井さんのほうが数段上手だったし、細かい解析は衣袋さんに今後も勝てないと思うし、実務的な経験も実績も能力も小川さんに勝つことはないだろう。もう当然ながら清水さんみたいな新しいフレームワークを作ることもできないだろうな、と思う。

年齢を重ねると経験値もあがるし、立ち回りも上手になるが、やるべきことやしがらみも増える。子供も大きくなって親も高齢になれば面倒みないわけにもいかない。そういう中で限られた時間でできることをなるべく効率的に全力でやることしかできなくなってくる。衰えもあり能力を劇的にあげられる時間もスペックもなくなってくるということだ。

ここ数年「私はそんなにできない」ということを前提に考えるようにしている。別に悲観的でもなく、自分ができないという軸で考え、行動するようにしたほうが正しく力がはいるのだ。

突然バタリと仕事できなくなるなら、もう無理しないほうがいい、無理しないなら、これを無理しない、あれを無理しない、と考え、これを無理しようというところに力を入れる。それが結果として良かったなと思うことが多かった。

ディスカッションしてても私のいままで知らないことだらけで、それを聞きながら自分の見識の無さにがっかりすることも多い。でもそれは知らないと受け入れ、できる範囲で自分なりに解釈し、知識をプロットする。それで共通認識をつくれるかもしれない。

若いとき、まだまだポテンシャルがあるときは、できると思って頑張ることがいいに決まってる。でもできないな、と思ったときはできない軸でそれでもしたいことを選んでそこに向けて諦めること。それが大事だなと思っている。

裏を返せば、まだまだ、できるできると思ってやってることが未だ多いということだ(笑)。もうずっと前からそう思ってるならこんな無茶な45歳を過ごしていない(苦笑)。もっと諦めるべきことがたくさんあるんだろうな。と思う。

 

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.