英語学習 その1 幼児や小学校で英語を学ぶことにメリットあるのか?

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いま英語を学ぼうとおっさんながら頑張ってるが、その経緯を伝えることで、これから学ぶ人の励みになればいいなと思って書いてみる。

英語を学び始めたのは2021年47歳の昭和40年代生まれのおっさんにしては早いかも知れない。小学校中学年ぐらいだったとおもう。

ABCは知ってても、それだけーじゃこまります

って歌が流行ったLL教室が車で15分ぐらい行ったところにあり、そこに週1回通っていた。
ABC知ってる以上にはなったと思うが、私にとって嫌いなピアノ教室とほとんど同じレベルでしか関心が薄く、そこまで上達しなかった。

そして小学校高学年になったころ、ハワイに短期留学に行かないか?という誘いを受けて、2週間ハワイに行く機会に恵まれた。当時としてはありがたい申し出だったな、とは思う。

ただ英語が上達したかというとそうでもなかった。日本人の同学年の学生と先生と夏休みのハワイ大学の校舎で過ごし、350mlのコーラ(当時は珍しかった)の缶やらバカでかいジュースとかみて驚いたり異国の経験はあったけど、日本人同士でしか話してない環境で日本人の先生が英語を教えてる状態で、そこまで上達もしない。せっかく機会頂いたのに申し訳ないですね。

それより貴重だったのはかかりつけのお医者様からご紹介をうけて、80歳後半になる向井さんという日系二世の方をご紹介いただいたことだった。Hiro市に移民して大変なご苦労をして(穀物を入れる袋で服を作ったと伺った)一財をなしたあとで、戦争で財産を失ったご経験などをうかがったり、大変貴重はお話を聞かせてもらった。

そして言葉に全体に感じたのは日本人だった。志や義が生き方全体にあふれていて、日系二世で、日本にそれほど長くいたわけではないのに、日本人以上に日本人だった。

日本に今いる日本人は、100年前の日本人から見たら異人かもしれない。

その後向井さんが日本に来たときに自宅でおもてなしをしたのだが(くさやとか、うにの塩漬けとか、アメリカに長いとは思えない日本食について美味しんぼでしか見ないような食事がお好きでかなりの食通だったが)、お礼のお手紙が縦書きの和紙で認められていて、人生で最初の(多分最後の)時代劇のようなお手紙だった。

その経験から幼児向け英語学校に子供を通わせること。英語に何の必要性も危機感も持っていない幼児に英語を積極的に学ばせようとすること自体が無理がある。先生も生徒を飽きさせないようにするためにお歌でるんるんお遊戯ランランで教えないと子供が飽きてしまう。だから何年学んでもまったく話せないし分からないし、関心もない。ただ親が喜ぶから学んでるみたいなことになってしまう。時間とお金の無駄だ。

…と最近まで思ってたけど、そうでもないと思い直してきている。私は気乗りしなかったが、子どもたちが気長に英語学校に通って、得意だと思うようになってきている。そして中学生の子供が英検で学校でも数人しかいない級をとってくると、得意技として自覚し始めるようになる。そして中学校で英語できるってレベルがそのまま世界に通用するわけではないが、得意な能力として英語が加わることは悪いことではないかも知れない。

そして英語はそこまで関心もてなかったとしても異文化を触れることは無意味ではないし、日本以外の広い視野で物事を見られる価値はたくさんあると思う。日系二世の向井さんに会ったことは、日本男児とはこういう人のことなのか知ることができたという意味でも貴重な体験だったと思う。

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.