1. はじめに ― ウェブ制作の根本的な「楽しさ」が忘れられている
ウェブサイト制作教育における最大の問題点は、技術の問題ではない。
「なぜ作るのか」という根本的な動機付けが欠落していることである。
本来、ウェブサイト制作とは
「自分の思いを形にして、世界に発信できる」
という、極めてクリエイティブで自由度の高い体験であり、
その魅力を知った学生は自然と学ぶ。
ところが現状の大学教育では、
- HTML/CSSを覚えなさい
- WordPressでページを作りなさい
- レイアウトを整えなさい
という 作業中心・技術中心の授業 が多く、
学生が最初に抱くべき「楽しい!」「もっと作りたい!」という気持ちが奪われている。
これは、教育としても産業人材育成としても致命的な損失である。
ウェブ制作の本質は、技術ではなく“表現”である。
技術は表現を支えるために存在するのに、
現場ではその本末転倒が起きている。
学生の学習意欲は「義務」ではなく、
“自分の世界が広がる感覚” によって最大化される。
行政、大学、WACAが協働し、教育の原点に立ち返るときである。
2. 普通のウェブ制作講座が抱える構造的問題
■ 問題1:技術学習が目的化し、“表現”が置き去り
多くの授業は「正しく作ること」に焦点を当てる。
しかし、本来学生が燃える瞬間はそこではない。
- 自分の好きなものを紹介できた
- 友だちに見せて褒められた
- SNSでシェアされ反応が返ってきた
- 自分の世界観がサイトとして形になった
これがモチベーションの根幹である。
にもかかわらず、大学は「表現の自由」を先に渡さず、
「技術の習得」を先に課してしまう。
これが最大の失敗である。
■ 問題2:制作の楽しさより“正解”が優先されてしまう
大学の授業では正解が必要だが、
ウェブ制作は「正解のない世界」である。
・どんな配色が良いか
・どんなテキストが伝わるか
・どんな導線が最適か
・どんな世界観が共感を生むか
これは数学の解法のように唯一の答えはない。
学生が自由に挑戦し、失敗し、改善してこそ成長する。
それを許容する環境が不足している。
■ 問題3:制作後に“誰にも見られない”
学生は本来、
「人に見てもらえる」「反応がある」ことで伸びる。
しかし多くの大学では、
- 公開しない
- 見せる相手がいない
- 教員しか見ない
という閉じた環境で授業が終わってしまう。
「見られる体験」がない制作は、
学習の楽しさが半減する。
■ 問題4:解析が入らないため“成長実感”が得られない
ウェブ解析(アクセスデータ)は、実は学生のモチベーションを最も刺激する要素である。
- 「昨日20人が見に来た!」
- 「このページだけ滞在時間が長い!」
- 「このコンテンツは直帰率が高い…改善しよう」
数字が見えると、学びがゲーム化される。
しかし、多くの授業では解析が触れられないため、
制作は“作って終わりの孤独な作業”になる。
■ 問題5:AI時代の教育として不十分
生成AIを使えば、学生は
- 文章の初稿
- デザイン案
- 画像素材
- コード
- 改善案
- ワイヤーフレーム
を簡単に得られる。
つまり技術の敷居が下がる分、表現力がより重視される時代になった。
しかし大学の授業はAI前提になっておらず、
いまだ「手作業中心」の教育設計が多い。
これでは学生の創造性が最大化されない。
3. 大学が提供すべき「ウェブ制作の本質的な教育」とは何か
大学教育が果たすべき使命は、
技術の伝達ではなく 学生が自分の思いを発信し、成長を実感できる環境をつくること である。
以下に大学が提供すべき教育フレームを示す。
⓪ 法律・プライバシー・アクセシビリティを学ぶこと
責任ある発信者としてのリテラシー教育が必須となる。
教えるべきポイントは以下の5つ。
著作権(画像・文章・動画)
- 無断使用のリスク
- 引用のルール
- 自分の作品も守られる
個人情報保護法 / GDPR
- 取得して良い情報・悪い情報
- Cookieとプライバシー
- 小規模サイトでも義務はある
発信に伴う炎上リスクの理解
自由=責任が伴う。批判や誹謗中傷のリスクを理解
AI生成物の責任(AIは使えるが使われないようになる)
- AIは使う。しかし自分が理解・検証できないことは発信しない
- AIのハルシネーションにフリマワサrない
法律を学ぶのは「自由を守るため」である。
この構造を学生が理解すると、急激に学びが深まる。
最初に“自由に発信させる”こと
授業の最初の課題は、
「自分の好きなものを紹介する1ページサイトをAIと一緒に作る」
これだけでよい。
学生は「自分のサイトが5分でできる」ことに驚き、喜ぶ。
ここが学習モチベーションの起爆剤になる。
② 表現 → 技術 → 改善 の順序で教える
従来の教育は「技術 → 表現」だが、これは逆。
正しい順序は以下である。
1. 自分が発信したいことを決める(表現)
2. AIを使いながら形にする(制作)
3. 誰かに見せる(公開)
4. データを見る(解析)
5. 良くするために試す(改善)
この5つが揃うと、学生の学びは劇的に加速する。
③ 「誰かに見られている」という経験を授業に組み込む
人に見せるからこそ、自分のサイトに誇りが持てる。
- クラス内外でのピアレビュー
- SNS発信の実践
- 学外の人も閲覧可能
- アフィリエイトで商品を販売してみる
- 外部メディアへの記事掲載
これらを組み込むことで、学習が“社会性を持った活動”になる。
④ 解析を“成長の可視化”として使う
学生はデータを見ると喜ぶ。
「10人も来た!」
「なんでこのページだけ読まれてるんだろう」
「改善したら滞在時間が伸びた!」
解析は、学生の学習を肯定的に強化する最高のツールである。
⑤ AIは「クリエイティブの加速装置」として使わせる
AIは学生の創造性を奪うどころか、むしろ取り戻す。
- アイデア出し
- デザインの提案
- 文章生成
- コード補助
- 改善案生成
これにより、学生は“技術よりも表現に集中”できる。
大事なことはAIに使われず、AIを使うことである。原稿を見て、使ってる用語、表現、意図を公開前に学生に質問をする。答えられないのであればAIに使われている
社会人になってAIのつくったコンテンツで大失敗する前に、授業でAIに振り回され、自らの意見ではないものがコンテンツに載ることの危険性は合わせて学ぶべきことである
4. WACAの役割:学生に「発信の楽しさ × 解析の面白さ」を体験させる唯一の教育体系
WACA(ウェブ解析士協会)は、
教育において「最も欠けている部分」を提供できる。
■ WACAは「ウェブの学びを楽しくする構造」を持っている
WACAの教育フレームは以下の通りである。
- 目的設定
- ユーザー理解
- コンテンツ設計
- データ取得
- データ理解
- 改善提案
この流れは、まさに「表現 → 公開 → 反応 → 改善」という
ウェブ発信の本質そのもの。
学生に“ウェブ制作が楽しい理由”を教えられる。
■ 上級ウェブ解析士は「学生の創造性を引き出すプロ」
上級ウェブ解析士は単なる技術者ではなく、
- 現場で成果を出した実績
- データの読み解き
- コンテンツ改善
- ビジネス理解
- 発信力
これらを兼ね備えている。
彼らが授業に入ると、学生は
「ウェブってこんなにも奥深くて楽しいんだ」
と実感する
上級ウェブ解析士の希望者に日本中でこのコンテンツを教える教師としての活躍も期待したい
5. 行政がこのモデルを支援すべき理由
行政は地域の「デジタル人材不足」と「教育のアップデート」を担う立場にある。
この教育モデルは行政の政策目的と一致している。
① 地域の若者が「発信力」を身に付ければ、地域価値が上がる
観光、農業、商店街、NPO、スタートアップなど、
あらゆる地域活動は発信により活性化する。
学生がその力を身に付ければ、地域は持続的に強くなる。
② “作れるだけの学生”から“成果を出せる学生”へ
解析 → 改善のプロセスが地域企業のデジタル苦手層を支える。
③ 行政・大学・WACAで産学官連携の成功モデルが作れる
地域DX、教育DX、人材育成において理想的な連携モデルになる。
6. 最終結論 ― ウェブ制作教育の再建は
「学生に発信の楽しさを取り戻すこと」から始まる
技術から入る教育は、学生の創造性を殺す。
正解を教える教育は、学生の自主性を奪う。
ウェブ制作の本質は、
「自分の思いが世界に届く」楽しさであり、解放感であり、承認体験であり、自己実現である。
学生がその楽しさを感じた瞬間に、
学びは“義務”から“情熱”へ変わる。
この変化を起こすために必要なのは、
- 表現 → 制作 → 公開 → 解析 → 改善 の一連の体験
- AIを活用した自由度の高い創造性
- 評価でなく承認を軸にした学習設計
- WACAの解析フレームによる「成長の可視化」
- 上級ウェブ解析士による実践的フィードバック
である。
WACAが全国の大学にこの体系を提供することは、
日本のウェブ教育の質を根底から変える教育改革である。
そして行政がこれを後押しすれば、
地域のデジタル人材不足は根本から改善され、
地域発信力・地域経済・地域ブランドのすべてが底上げされる。
ウェブ制作教育の本質は、
技術ではない。
学生の心が動くこと。
その心の動きこそ、未来のDXを支えるエンジンである。