2020年、去年の春は花見もなく、全国民が自宅に待機していた。最初のロックダウンで顧客は外食をまったくしなくなり、飲食店はピンチになり、テイクアウトやデリバリーサービスで生き残りをかけていた。子供も大人も在宅を余儀なくされていた。
この頃に比べ遥かに多い患者数となった。ロックダウンに1月から入っている。誰がどう見ても去年と比べて増えたが、誰がどう見ても去年より顧客の外出や外食への危機感は下がっている。そして危機感は飲食から感染にうつっている。誰もがそうだが、去年は「コロナはただの風邪」という候補者がいるぐらい、ほとんど身近にいなかった。今年になって身近に患者がいるようになってきた。
そして感染したらどうするかという話がテレビでも目立つようになってきた。この状況で感染に対する対応は人として、あとで振り返って恥ずかしくないものでありたいな、と思う。
感染したことが悪いとか良いなんて評価はいけないと思う。ホストクラブ行ったからとか、ホストクラブそのものを批判する時期があったが、病気をどこで感染したか?というような症状や病状ではなく、その人の行いまで批判されるのもおかしい。批判したかったら病気関係なく行動を批判すればいいんじゃないだろうか。
これから感染源は夜のお店でもレストランでもない、生活で必要な施設や機関にもおよぶはずだ。公共施設行って感染したから感染した人が悪いなんて言い方される必要はない。そんなこと誰だって分かってるのに。
そういう行動を批判することから、患者になることが悪い行為みたいな風潮をもたらす危険性を感じている。この時代に人権だってダイバーシティだって叫ばれてるというのに、そんな馬鹿げたことを行ったり、見て見ぬ振りすることは避けたい。
患者は弱った弱者だ。守る存在だ。治って、元気になってもらうことをサポートすればいい。そして感染の拡大を防ぐこと。自分の常識問題で気をつけるべきことを気をつけ、弱っている人を助ければいい。
昔、ハンセン病の患者の人権侵害はひどかった。あの頃の患者への対応は、人として恥ずかしいものであった思う。病気に対して正しい知識があったのに、過度に恐れ、過度な対策を取られ、患者は苦しめられた。患者になったら人権がなくなるなんてありえない。自分がそうされたら悲しかったり傷つくことはしてはいけないという当然のことだ。
人類は進歩している。より良くなっていると思う。まさかそんな愚行を今の時代になって100年前にやった愚行をもうしない、とは思いたい。