就職活動のときのことを思い出したので書いておこうと思う。私は大学生の頃大学でトップクラスに怠け者で、ほとんど学校に行ってなかった。
統計のゼミだけは真面目に通ってたのだが、単位がなくてヤバかった。体育の単位を1年で落としたのは相当しんどくって、3年でアトピーを理由に養護体育を取り直してるレベルだった。
そんな状態で実家に相談すると商社に行ったらということだった。実家は商社だったし、私も当時家の仕事を継ぐんだろうぐらいしか考えてなかったので、それで調べてみた。9大と呼ばれる大手商社があり、まあこの辺りから就職活動をするかと思った。
先ほど書いた通り、私は極めて成績が悪かった、というより4年で卒業ですら絶望的だった。3年4年で100単位ぐらい取らなきゃいけなかった。普通の大学なら間違いなく2年で留年するレベルだった。
そして9大と呼ばれる商社に入るのは100%不可能だった。当時は超氷河期時代と呼ばれてて、新卒採用に消極的だったのに加え、当時は体育会系のコネクションが大事だった。このような商社は特にそうで、ボート部やらアメフト部やらの後輩が採用される、というような流れだった。単位もなく、部活もしてない、やってたことはレゲエのDJとしがない統計のゼミ、という私は完全に範囲外だった。
さあ、どうしたか、という話を書いて見ようかなと思う。
なお今振り返ってタイムマシンで当時の私に会えるなら、商社は絶対やめとけというだろう。ああいう大企業は学閥が強い。立教ぐらいの社員は兵隊だ。国立の東大京大一橋がトップにあり、早慶がその下にいて、そういう人が将来社長とか役員になる。立教ぐらいの人は(もちろん例外にすごい人はどこでもいるが)兵隊とし部長ぐらいになって終わるだろう。最初に配属された業界から一生出ることはない。鮭を扱えば鮭だし、木材を扱えば、大抵はずっと木材だ。
私のような飽きっぽくて、人の言うこと聞けない人には極めて向いていない仕事だったろうな。体育会が入るってことで気づけばよかったと思うが、私は商社に入ろうと頑張ることになる。つづく。