何もせず批判だけしている者は一番序列が下であっていい

私が日本で変えたいなと思う風習の1つに成り上がり者を嫌うことだ。特に学術やビジネスにおいて権威主義だなと思うことが多い。

たとえばライブドアなどのベンチャー企業がフジテレビ局を買収するところからはじまった騒動もその1つだと思う。株価の操作でホリエモンこと堀江さんが懲役刑になったことは民主主義国家である日本の恥だと思う。東芝などその後の大手企業の粉飾決算で、代表取締役が懲役刑になったことを聞いたことがない。あれは明らかに不平等な裁判だった。これこそ(ホリエモンにとって)風評被害だと思う。

いま思えばフジテレビがライブドア傘下になってたら・・・いまごろ相当おもしろいテレビ局や番組になってたかもしれないなーとは思うが、当時は「成り上がりものが悪いことを企んで、身分不相応の企業を我が物にしようとしている」なんて風潮があった。

学術的にはSTAP細胞の騒ぎのときも感じた。私はこの分野において専門ではないのでその真偽は触れないが、ただそのときもそのあとも小保方さんへのマスメディアやソーシャルメディアでの取り上げ方はひどいものがあった。

このような成り上がりものを嫌う風潮はずっとあって、リクルートだって叩かれた。

私の知る最大の風評被害は鈴木商店。第一次大戦であの頃三井三菱を抜いて売上高1位になっていた。そこで新聞などマスメディアは、悪徳商人=鈴木商店というキャンペーンを行った。米騒動のとき、各地で暴動が起こる中、鈴木商店は米価に暴騰を抑えるため積極的に活動したにも関わらず、マスメディアは鈴木商店は米価を操作して利益を得ようとしているというキャンペーンを行い、其の結果鈴木商店の本店が暴動で焼き討ちにあってしまう。それで潰れたわけではないが、なんの問題もない企業がそうやって大衆によって潰されたり、攻撃されることが日本ではある。

学術分野では、鈴木梅太郎のオリザニンの発見も日本の学会で正当な評価をされなかった。当時大きな問題であった脚気の治療で大きな効果があったにもかかわらず、農業大学出身であるため正当な評価がされなかったという話もある。

成り上がりものという言葉自体が卑下した言葉だが、成り上がりと思われて成功した人なんて、矢沢永吉ぐらいじゃないかと思う。いっそ成り上がりって言ったほうが日本では生きやすいのかもしれない。

アメリカだったらチャレンジャーだ。アメリカではチャレンジャーは失敗しても称賛される対象であることが多い(タッカートーペットみたいなひどいこともあるから絶対じゃないけど)。チャレンジを称賛すること、失敗してもチャレンジすること自体称賛することは日本はもっと見習うべきだ。

日本でもそういう言葉はある。BNGパートナーズの蔵元さんから教えてもらった薩摩の教え・男の順序がそうだ。

一、何かに挑戦し、成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず 批判だけしている者

https://setsuyaku.ceo/post/1304/%E3%80%8C%E8%96%A9%E6%91%A9%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%83%BB%E7%94%B7%E3%81%AE%E9%A0%86%E5%BA%8F%E3%80%8D%E7%B5%8C%E5%96%B6%E8%80%85%E3%81%AF%E5%BE%93%E6%A5%AD%E5%93%A1%E3%82%92%EF%BC%95%E6%AE%B5

何もせず、批判だけしている者は一番序列が下であっていい

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.