英語を学ぼうと思ったとき何をしたか その1

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私が学生のころ依頼、英語を学び直そう、英語でコミュニケーションをとれるようになろうと思ったのは2014年。41歳になってからだ。それまで全く話せなかった。どのぐらいかというと、お手紙書くときに

DearをDeraと書くぐらいだったwデラって静岡弁かwww

そのぐらいどーしよーもなかった。むかし経営者のクローズドな会でシンガポールに行ったとき、お世話になった経営者の皆さまが、今度は日本に来るというときにアテンドをしなければいけなかった。そのときお世話になった経営者全員がその来日のときに誰も協力しなかったため、私一人で対応しなければいけないこともあった。

そのときは英語ができなくて大変難儀した。もう1人サポートしてくれたシェアード社員で有名なUnite and Growの須田社長には心から感謝している。この話は別の機会に。

その前後で経営者英語塾に行ったのだが、経営者なんてみんな忙しいので適当に済ませられるんで、みんな適当で終わってしまった。そのときにこのあと英語を学ぶきっかけにはなっているが、当時は全くだった。とにかく英語がぜんぜんまったくできなかった。

振り返ると私は1度英語学習で挫折している。

10年前、社会人になってから最初の一歩としてNovaに通おうとしていた。当時24時間英語を学べる機器とサービスを販売してて、通えない私には唯一学べる手段ではないかと思ったからだった。家族から古いNovaの機材ももらい、慌てて申し込んだ。しかし時期は2007年。そのときに払った受講料は返ってこなかった。これが相当私を慎重にさせた。

私は英語で話す機会はもうないのではないか、と思った。

ウェブ解析士のプロジェクトが始まった。わたしは作った当初から、「これは初心者向けである、簿記3級のように、誰でも学べるものを作ろうと思った。そのときその価値は日本だけではないかもしれないと思いはじめた。海外のウェブ解析に近いカリキュラムや認定資格はDAAが提供している。これは素晴らしいとは聞いているが、あくまでアメリカで働くスペシャリストのデジタルアナリストを認証する資格であり、初心者向けではない。もっとベーシックなカリキュラムと資格であれば海外でも価値があるのではないか。と思った。そこで作った当初から海外で学んでもらう機会をつくりたいと言っていた。

ウェブ解析士が広がるにつれて、私は次どこに行こうか考えた。

一番成果につながるのはウェブ業界でのプレゼンスを高めることだ。ツールトレーニングやリスティング運用など、さまざまなカリキュラムを強化すれば、デジタルマーケティングを学びたい方にトータルでコンテンツを提供できるカリキュラムは作れるだろう。

次に成果につながるのは、地方や異業種への展開だ。地方中小企業への紹介や連携はきっと私達の理解に役立つと思うし、異業種でもデータをみて顧客を考えることはいいだろう。

でも、私は確度よりチャレンジを選んだ。だから海外を選んだ。確度は低い。リスクも高い。でも私が動かなければ絶対やらないことをやることにした。でもこれが上手く行けば、他の2つは大きな可能性が生まれる。そこにチャレンジするべきだと。また失敗しても誰かは広がるマーケットにリーチできる。

つまり、簡単にできることを後回しにして、最も困難なことを最優先にした。その結果、わたしにとってもっともボトルネックの英語を学ぶことにした。

そして英語、というよろグローバルに展開することを決めた。そして環を売却し、SBTの参加に入った。その次の日、英語学校に申し込みをした。

続きはまた今度

 

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.