自分が災厄かもしれない中での意思決定

昨日患者数は大幅に減ったのだが、今日最多となった。

平均で横ばいであり、この数字の乱高下が鎮火に向かっているならいいが、今日の感覚ではそういう感じはしない。怯えて電車にのっているが満員電車もまだ健在だ。

こんなときこそ統計が役に立つ。統計はそもそも曖昧な数字から推定する技術だ。ハマりすぎても疑えるしハマらなすぎたらあてにならないと言える。対数で拡大する中、落ちてきてるところは拡散防止に成功しているはずだ。

今日はシンガポールの団体のウェビナーを運営してみた。って大したことしてないが、でも内容は満足してもらえたようだ。プレゼンテーション資料の運びなども対応しなければいけなかったが、そういう裏方もやれないと裏方の気持ちになれないし、いい経験だ。

2020年は人類が最も多い人が同じ思いを抱いた歴史的な瞬間になるだろう。政治家からミュージシャンまで同じテーマを考えている。こんなときにどう動いたかが人生を変えるよね。

こんな時期は人行動が変わって人格がわかる。かっこいいこと言って終わる人もいる。無駄な動きばかりするひともいる。何もしない人が大半だ。どれも正解なんてなくて、だれがどれも正解か分からないことだ。でもそのときした行動は残る。攻めた人は攻めた評価は残るし、守った人は守った評価は残る。逃げた人は逃げた評価が残る。それを引きずってまた数年生きる。僕は震災の時捨て身で攻めた気がする。そのイメージが僕の人生を変えた。

いま出来ること考えてどう動けるか?でも動き方間違うと自分が害になるかもしれない中で適切な動きができるか、だ。

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.