2015年末海外旅行で大量の荷物が届かなかったとき

Mactan Cebu airport 29/12/2016

2015年12月29日家族でCebu pacific airlineでcebu islandに行くとき、乗客の100個の手荷物が届かなかった。すでにほぼ解決済みだけど、経験として共有していく。

2015年の年末年始は家族でセブで過ごした。日頃ぜんぜんいない父親としてのせめてもの家族サービス。当初やりたかったのは、英語関心高い子供にプライベートレッスン受けさせたかった。そこでオンライン英会話でフィリピンの人を見つけては、残念ながら見つからなかった。それ以上に良い 勉強になったのだが。

選んだ旅行会社はセブパシフィック。トラブルはあったのだが、これが初回ではない。1度シンガポールからチェンマイへ行く際に使ったことがある。私の印象は悪くなかった。あえて言うなら、荷物の重さによって追加費用が結構発生するということだった。

このチェンマイへ行くとき使ったときから、LLCの印象は悪くなかった。「近距離やビジネスなど余計なサービスがないからいいこともある。」だった。食事もセルフ、都度購入、合理的だと思う。そこで、この選択も悪くないと思った。セブはそんな遠くない。英語でのコミュニケーションもいい経験になるだろうと。

問題は離陸直前に起きた。

離陸直前、シートベルトや座席など機長から注意点が口早に英語で流れてきたとき、「いくつかの荷物が乗らなかった」という説明があった。一瞬耳を疑ったが、ゴルフバッグとかサーフィンボードのようなものが乗らなかったのかな、と思い正直気の毒な人がいるな、という印象だった。

実態は違っていた。

飛行機がセブに到着し、預けた荷物を取りにベルトコンベアに行った。待てども待てども荷物が来ない。すると、空港のスタッフがもう荷物はこれで全部だからこっちに並ぶようアドバイスしてくれた。

そこには長蛇の日本人の行列。そこで100個の荷物が飛行機に搭載できず機長判断で日本において行ったことがわかった。この行列はその荷物が到着しなかった旅客向けに荷物概要と届ける宿泊施設についてスタッフが確認し、預かり証を渡すためのものだった。1時間ぐらい待っただろうか。日本人ばかりで英語もままならない人が多かったように思う。現地にはツアーコンダクターの日本人が数名しかいない。セブパシフィックエアーのスタッフは全員フィリピン人で日本語は全くわからない。届く予定だった荷物は2日後の12/31に到着するということだった。

まず、ホテルに着くとすぐスーパーへ駆け込んだ。LLCでは預けられる荷物の数と重量が厳しく制限される。制限されると最大限使いたくなってしまう。預けられるのは1人1個まで。そこは家族で分担して預けらるだけ預けてしまったのだ。衣服も水着も生活用品もない。

そこで、到着するとすぐ地元のショッピングセンターに向かった。観光客向けではない地元向けの場所だ。タクシーを使い、家族総出で向かった。化粧品、水着、何より明日からの衣服、歯ブラシなど、数万円分は買ったのではないだろうか。物価は安いとはいえ、余計なものをもう一度買わなければいけないし、夜中買い物するのは手間ではあった。

最小限のものを買ったが、やはりシャンプーや化粧品がホテル備え付けのが肌に合わないらしく、毎日そのモールに通ったと思う。シャンプーも日本製を探した。1回使い切りの化粧品やシャンプーがたくさん揃っていたのはよかった。現地では洗剤もシャンプーも1回使い切りで買うケースが多く、特に手洗い用の洗剤はすごい量あった。日本ではほとんどない手洗い需要はまだまだあるのだろう。毎日行けばさすがにお店の構造もわかるようになり、だんだん色々現地の商品を探すのも楽しくなった。ただ、女性は大変だったと思う。あとで聞いたが、私たちはまだ勇気のある方で、別な女性の観光客は治安に不安があるので現地へタクシーで移動するなどは危険だから避けた方がいいということで全てホテルの小さな売店で賄っていたそうだ。ほとんど最低限のものしかなかったので、さぞかし大変だったと思う。

結局届いたのは12/31の年明け直前の夜まで届かなかった。ニューイヤーパーティーはスーツで来て欲しい、というような話もあり、スーツも持ってきたが、もうそれどころではないので家族全員ふらっと来た地元の人、みたいな感じだった。私はどうせ買うのなら使い倒すもの、ということで寝巻きにも使ってるような運動用の服ばかり買ってた。ずっとマラソンランナーみたいな格好になってしまった。でも花火は綺麗だった。干潟なのでちょっと臭いは気になるが、海は綺麗だった。

最後の夜はホテルオススメの海沿いのレストランでローカルフードを食べた。ショッピングモールなどでご飯を食べて、散々ローカルフードを食べてたが、後半家族はもう飽きてたようだった。お米と豚肉がたくさん出てくる。ぼくはというと、全然好きだが、1年過ごすのはしんどいかもしれない。とにかくご飯好き。どこでご飯を装ってくれる人が来てくれる。

帰ってくると、航空会社は損害賠償した。妥当だし問題ないと思う

なぜ荷物を置いていったのか。今でもよく分からない。でも死ぬよりまし。そしてスーパーでいい経験できた。飛行機事故なんて一生に数回。死ぬトラブルじゃなかったことを私は幸運だと思う。

でも化粧品などは手元になかったので妻は相当大変だった。そこからの教訓。必要なものは手荷物に入れるべきだ。

そして、交渉は冷静に。担当してる彼らも被害者で、激昂したって荷物は早く届かない。

いい経験だと、今はいえる。

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.