電車でのディスプレイによる動画と動画広告は一般的になった。その中でよく電車の中でも効率的にエクササイズするための動画を見かける。見るたびに、なんで電車で運動をしなければならないのかと思った。でもそれはむしろ逆で、だからこそクリエイティブの価値があるのだと思った。
電車に乗って運動ができないな、と思う人もいるだろう。そもそも電車に乗りたくない人もいるだろう。会社だって運動不足になってほしいと思っていないはずだ。でも定時に仕事に行かなければならず、電車だって本数も限界があり搭乗できるスペースも限られてて、いまのところ混雑を解消もできない。運動不足により混雑で怪我をする人もいるかもしれない。
だからクリエティブの登場だ。いろんな問題があるところを、クリエイティブのちからを借りて、変えたり、もっと良くすることが役割なのだろう。
その組織あるべき姿やその中で人の立ち振舞が変わった姿を見せることで、周りを変えていく。それは何時でも改善できるものでもないかもしれないが、一部や何割かが変わるかもしれない。
考えてみれば電車が混雑してることをクリエイティブにしても、会社の運動不足改善のPRをしても、電車に乗りたくない人に乗る理由を説明しても、無意味なのは明らかだ。ある問題をただビジュアライズしたって何も解決しない。
矛盾があり、解決しようとしてて、できていないこと。
あるべきだけどできないこと。
クリエイティブはそんな矛盾を解決する道標にするものなのかな、と思った。