キリロムは高原都市なので、プノンペンほど暑くはない。松林にあるため森香りが濃く。朝は特にその空気の良さを感じることができる。
朝朝食を済ませるとセミナー会場へ。DavidとFooが行う英語オンライン、カンボジアローカル向けと、私が行う日本人向けの2教室に分けて行った。
授業は10時から4時。5時間での講座だ。社会人向けにはこの時間で行うのは一般的だが、学生の場合、通常講座だけで理解するのは困難である。しかし日本に関し手は5時間の講座で集中力を切らすことなく、学べたようだ。もともと授業での座学が少なく、バーチャル・カンパニーを立てて研究するなど、それぞれ自発的な行動が求められるため、彼らは自発的に動くことに慣れているからなのだろう。
カンボジアローカルは100名近い人が受講した。午後授業の関係で減ったものの40名以上が参加し、その半分がさらなる上位資格のチャレンジを希望していた。Davidが言ってた話によるとカンボジアの学生は相当優秀で、質問もロジカルだった。試験もチャレンジできるレベルにあるだろう、英語についても問題はなかった、とのことだった。さすが倍率20倍を勝ち抜いてきただけある。
私達としては、とくにローカルのカンボジア人生徒にマスターまで学んでもらってオンライン・オフライン講師をお願いできればと思っている。エンジニアの素養があればウェブ解析を学ぶのは容易だ。海外で活躍するいい機会にもなるだろう。
講座が終わってから一休みしたあと、食事をしながら先生や生徒と話をする機会をいただけた。思いやビジョンはわかるが、スタートアップにあるあるな、いろんな不安や課題が沢山あった。
当事者としては大変なことなのだろうけど、スタートアップはどこでも信じられないぐらい体制や環境は整っていないはずだ。
逆に整っていたら怪しんだほうがいい(笑)
課題を自分たちで乗り越えていくと自信になるのだよね。でもそれを経験として得られるか、書籍や伝聞でしか得られないかは、その人がやれるかどうかの問題なんだよなー。
だって
「あとで笑って話せる」
日が来るのを私は知ってる。
無理なく、小さく、やったことを振り返りながら進むと良いよ、ができるアドバイスかな。
思い出したので昔話を。株式会社環をつくるまえ、有限会社環をつくったころの話だ。
創業記念日は最悪だった。
前の会社の上司の命令で有休は1日も使えなかった。そんなの法律違反だなんてディベート能力もない26歳の私は、自宅で共同創業者の小坂と2人ちゃぶ台とパソコンラックで仕事をしていた。
それまで会社に勤めながら19時に帰ってきて夜中まで企業の準備をしてきたのだが、そのときと変わらない創業記念日1日目だった。
違うのは、もう会社は退社していて、朝から家にいること。
インターネット回線は1本しかなくて小坂と交代で使わなきゃいけないこと。
見込み客も商品も何もなく、ただアクセス解析などの使い方ぐらいしかなかったこと。
いま同じ環境にいる起業家がいたら100%失敗するからやめとけというような無謀な起業だった(笑)
毎日繰り返す激論の中、1日目は何をするかということについて結論はでていた。
飛び込みアンケートだ。
なぜなら中小企業中小企業と叫ぶけど私も小坂も中小企業を知らない。
だったら聞いてまわろうと、どこかで聞いた豆腐屋さんの話よろしく白地図を買ってきて、昨日食べたラーメン屋からアンケートをとっていったのだった。
夕方まで知らない人や会社やお店に飛び込む毎日。1日20軒は行くと決めても、売り子もをしなくても慣れない飛び込みは気持ちが折れる。
給料は最小限の金額、なんせ社会保険含め1.5倍かかるし2人も社員(私と小坂)がいる。有限会社の資本金なんて半年たたずに消える。
夕方まで動きまわって、地図を塗りつぶしてから11時ぐらいまで調査や議論をする毎日。看板がなくて単なるボロい民家でお客様を失ったときもこの頃だった。
その頃、彼女だった妻は夕方会社から帰ってきては押入れとかで寝てて仕事が終わったら遅い晩ごはんを食べていた。1週間目ぐらいに
「あんた本当に大丈夫なの?」
と真顔で聞かれた。いままでで仕事に関してはこう聞かれたのは1回だけだ。
あのとき顧客0で飛び込みで傷つきまくってた最悪の気分だったのだが、なぜか
「あとで笑って話せるよ」
と言った。
今こうして笑って、じゃなくてジャカルタから帰る機内で書いているが、まあ悪い思い出ではない。
だから今どんな無謀で苦しいことでも、進むべき道を進んでたら、必ず
「あとで笑って話せるようになるよ」
と言っておきたい。