一人ひとりの話を聞くこと

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本日天皇誕生日で、ふと思い出したことがあった。

私が東日本大震災のとき、震災支援で地元福島に行ったり来たりしていたときである。
ボランティアで活動してたが、基本どこの組織にも属さず、twitterをつかってニーズを広い、集まった資材を現地に個別に届ける活動をしていた。

その中で当時大学生だった地元の学生が参加したいと言ってきたときだった。
正直悩んだ。当時まだ原発の状態も決して安定しているわけではなかったからだ。

私達はいい。もうおっさんだし、やりたいからやってるだけだから。
でももしかしたら学生を連れて行って、深刻な健康被害があったら私は地元の可能性を消すことになる。

しかし彼らも機会がなかったということだったので、迷いながら連れて行った。そのとき、子供立ちを一時的に東京や西日本で預かるというボランティア活動をしている団体もウェブ解析士経由で紹介を受け、希望があれば紹介するというミッションももっていた。

そして物資を持っていったところ、地元はガソリンがなく、動きたくても動けない状態にあった。物資は一箇所に集まりすぎ、その物資を個別の場所に運ぶ手段がなく、溢れかえっていた。わたしたちは持ってきた物資を運んで、その後保管場所から避難所に運ぶ輸送部隊として避難所をなん往復もした。

宿泊場所も確保していないのでその日に帰らなければいけない。
最後の避難所にいったときのことだった。子供も多く、その子供を一時的に預かるというボランティアを紹介したら

「そんなことは必要ない、避難している人を混乱させる」と当時リーダーをしていた確か学校の校長先生が一蹴した。

そして「ぜひ避難所の人と話してください」と要望をうけた。

地元がベストと思うことをするのが一番だ。ということで学生数人で分担して個別の世帯に伺って話を聞いて回った。

これはとても貴重な経験だった。もちろん、そのとき私達は体育館で避難している人たちの家族と一緒に座って話を聞いて回った。

一人ひとりの話を聞くことの大事さはこのときの経験でも痛感している。

天皇陛下も座って話を聞いたと伺い、そのスタンスが大事だったんだ、と改めて思った。一方で一部の人たちは避難所慰安とか視察で、ただ周りを見渡し、話もせずに去ってしまってたと聞いていた。

少しでもお役に立っていればいいのだが。
彼らは今元気でやっているのだろうか。

Toshiaki Ejiri: Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.