100円で3000円稼いだ小五の夏休み

今日は久しぶりに両親と食事をした。

小学校のときに、たかってた佐々木さんの話をしたい。

私が小学生のころ留学したときに会った、ハワイ島の向井さんの話になった。紹介してくれたのは佐々木さん。佐々木さんは佐々木医院のお医者さんで、かかりつけの内科の先生。何のご縁か覚えてないが切手が趣味で、彼のコレクションを見て、すげーなー大人っていいなーと思ってた。なけなしのおこずかいと、実家の会社に届く請求書に貼られてた大量の使用済み切手を剥がして貯めた切手をアルバムに挿して、たまに遊びに行っては、その崇高なコレクションと僕の手作りコレクションの交換をお願いしてた。

一円切手100枚シートを買ってきて自慢したら、ビードロ娘をくれた。これには感動した!やっベーこれすげーのもらった!と。一円切手100枚シートは百円、ビードロ娘は当時三千円。もううれしくって、いいっすか?いいっすかーほんとうにいっすか?って何度も聞いた。

僕が自慢してたことに対しての、おこずかいだった。頑張ったね、おもしろかったよ、ありがとう、だったのだと思う。佐々木先生は僕のことを可愛がってくれたのだ。そのことを当時の私は全く気づかず、すげーこの先生にもっとみせびらかそーと思ってた。

ある日、いつものようにガラクタ切手を持って行って、佐々木先生にたかりの行った。確か実家の封筒に第一国宝を貼った封筒があって、それを見せに行って何かくれとせびった気がする。

そのとき、先生は「月に鴈」をあげようと言ってくれた。

月に雁。この言葉ほどラグジュアリーな言葉を私は知らない。当時2万4千円ぐらい。手に入れるならおこずかいとお年玉3年貯めて、なにかのミラクルが起きないと手に入らない。気づくべきだった。百円以下の価値の切手で交換する意味を。

多分、2万4千円捨ててもいいような大変な状況だったのではないかと思う。急患なのか、患者の深刻な状況なのか、真意は不明だが、何も疑わなかった自分はひどいな、と思う。考えたのはやっべーすげーの手にはるぞー!だけだった。バカだよね。

何度か先生の病院に遊びに行き受付で話しして何度か振られ、5回目ぐらいに、先生と会えた。月に雁、はいいつもらえるいつもらえると小学5年生の私がゲキ詰したんだと思う。子供って残酷。

月に雁を持ってきてくれた。しかしそれは5枚シート。これは今でも数十万円すると思う。これしかなかった。これは渡せない、となってその代わりに、と同等の切手をたくさんもらった。

まずは見返り美人。

見返り美人。

どう例えればいいかわからないが、月に雁の半分ぐらいの価値で、手が届く最高級切手のイメージだった。私も2年ぐらいお金ためて1枚手に入れていた。今考えると芸術的なデザインで綺麗さがわかるが、当時はポケモン最強キャラクターぐらいでしか見えてなかった。

それをポン、とくれた。そしてビードロ娘やら第2国宝やらくれた。律儀にも月に雁相当の切手を私の請求書に張り付いたお寺の第一国宝使用済み切手と交換してくれた。

ポンと手に入れた2万4千円分の切手。

それが僕の切手収集最期の日となった。

冷めてしまったのだ。何を集めてたのか、魔法から解けたようにあれ以来アルバムをほぼ開けてもいない。

僕の意欲は「月に雁」レベルだったから、達成してしまい、意欲が飛んでしまったのだ。

欲しいものを頑張って手に入れるともっとほしくなる。究極に欲しいものを手に入れると人は覚める。だから覚めさせるなら、その人が望むぐらいのものをあたえるといい。冷めさせんたくなかったら、感動できる機会をたくさんつくったらいい。

あの当時月に雁の5枚シート見て、これほしーと思ったら人生変わってたかもしれない。欲望の上限が小さかったのだと思う。

切手、当時と値段が全然上がってないのが悲しい。今更デパートで見てて、切手って、ステキな趣味だと思うのだけどね。

 

 

 

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ejtter

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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