不確かな世の中で子供の教育を考えた

先日夏休みの間、息子に私の代わりに届け物をお願いした。そのお礼に息子とご指名のいきなりステーキに連れて行った。

息子と二人で食事はいつぶりだろうか。

今年は6年生で夏休みは毎日昼から夜まで塾に行っていた。大変だろうに、夏休みそんな私は小学校の頃頑張ってなかったので、気の毒に思い聞いたが本人は充実しているという。

私は受験否定派だ。

もう利根川とか覚えることに価値はなくて、お笑いでもカレーでもクリエイティブな能力しか求められないし、幸せになれないと思う。古代ギリシアは、機械じゃなくて奴隷が働いたのだろうけど、同じような社会だったのではないだろうか。

でも勉強に価値が必ずあるし、受験は若い頃にのチャレンジとして良いキッカケだとは思う。でも前提は学校への合格ではなく、受験で学ぶことにそれに価値を感じるのであれば、であり、根本的にいやならやらない方がいいと思う。

私は高校受験のころ上京した。

実は高校で一浪してて、当時どうしても落ちた地元の高校(一番の進学校だったが)に行く気になれなかった。でもダラダラ半登校拒否が続いて、やっと4月から半年以上経った11月になって自分の人生を変えようと思って親に土下座して東京の高校を受験、第一志望だった早稲田大学高等学院は2次で落ちてしまったが、海城高校に入学して、高校から一人暮らし(実際は祖母と暮らしたがほとんど一人暮らしだった)をして・・・そして遊びはじめているw

3ヶ月で田舎の高校受験レベルから都内私立上位校合格レベルまで知識を詰め込む経験は人生初の、人生をかけたチャレンジだった。特に英語は大きな差があり3時間しか寝ないとか、食事は眠くなるから油を取らないとか馬鹿げたことをたくさんやって、大抵寝過ごしたり、失敗ばかりしてたし、そうとうオカシイチャレンジだった。なぜ12月の次は13月じゃなくて1月なのか呪ってた(笑)。バカバカしい無駄な努力はたくさんあったのだけど、いちいちへこたれなくなったのはその時の経験からだと思う。

さてそんな親に比べ息子は毎日こつこつ勉強している。最近は夏休みでも夜まで毎日頑張っている。私のようなヤクザなギャンブラーじゃないのは全くもって健全だ・・・・

なんて思いながらステーキを頬張りながら、ずっと気になることを質問した。

息子は国語が苦手なのだが、なんで理科社会がいいのに国語が苦手なのか、だって文章日本語だから、いい点数とるってことは読めるし書けるんじゃないの?どうにも不思議だ

と聞いたら、本人がご飯を見つめながら、僕はまとめる能力が弱いから、と自分の弱点を教えてくれた。弱点が言えること。それはうれしかった。

先日、息子が通う早稲田塾の池袋の塾長による父兄に対する説明会があった。塾の責任者として、父兄に自分たちの状況を伝える内容だった。これから創造性を重んじる教育になる。それがいいと思う。でも、どう変わるかがまだ見えていない。いまは、今までの受験を勝つための教育をしてた。でもそれが、今後も役に立つかが今わからない。でも今は今置かれてる状況でベストを頑張ってると。

僕は素晴らしい姿勢だし、その不確かな状況に共感した。だって、

私は子供がどんな人になるか分からない。

頭良くなるとか真面目になるとか、そこは本人の自由で、親が決めることじゃない。それよりも親が本人に良かれと思って、変な歪みを与えることの方が怖い。そのような無理が家族としてコミュニケーションを歪めてしまわないようにしたい。

私ができることは、気兼ねなく話せる家族であること。それが幸せであることに最も影響があって、年収が高いとか偉いとかエリートとかよりずっと影響が大きいと思う。不確かな世の中でどれがいいか分からないし。

トラウマやコンプレックスで頑張ることもいい。

でもそれは親が与える必要はないよね。

私だけかもしれないけど、じっくりと子供から自分が、がんばってることを聞く機会ってそんなに多くない。週1回はないと思う。月2回ぐらいか。

そういう話をじっくり子供とできる時間ってほんと少ない。大事にしたい。

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ejtter

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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