平成は私の上京した時間だった
- 2019.03.31
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私なりに平成を振り返る。思えば高校受験をしたときが昭和64年、つまり平成元年。忘れもしない。
1月模擬テストが崩御で変更になるか相当戸惑ったからだ。だから私にとって平成は上京してからと同じ年数、となる。一時期岡山にも神奈川にもいたが、故郷を離れた30年といってもいい。
あれから30年。私も息子が受験するオッサンになった。年号見る前に、振り返って未来を考えようと思う。
日本の価値が衰退する30年
それまでの反映していた日本が衰退する30年だった。でもイギリスだってアメリカだって反映の後衰退する期間がある。そんな不思議なことではない。
しかし前述の2国は産業発展後は金融で支配を続けた。日本は平成前、コンピューターで主導権を握れたかもしれないけど、政治的な理由もあり、実現しなかった。日本語前提であればどっちにせよ無理だったかもしれないが、惜しかったと思う。
30年間、技術的に少しづつ勢力が削がれ、もはや日本が世界に伍するシェアを持つ産業は自動車が最後の砦となった。いずれ奪われるだろう。今後は醤油というかキッコーマンとかになる。
昨日ラスベガスでラーメンを食べに行った。最近ラーメン屋さんも経営難しくあまりないのだそうだが、行ったお店はかなり混んでいた。値段も7-8ドルとかなり良心的。
そして並んでる人はほぼ日本人はいなく、並んでる一人の女性はドラゴンボールの新しいtシャツを着ていた。
日本が残した文化と誠意
ここ30年日本が主導権を持ち始めたのは、文化と誠意だと思う。
日本食が入っていないレストラン街はないだろう。どこも人気だ。アニメやコミックが好きで日本語を覚える人も多い。文化としてどの国にもファンがいる状況を作れた。
そして何よりありがたいのは日本人であることの信頼性だ。私へのリップサービスはあったろうが、アジアでここまで信頼を持っている人種は世界でいないのではないか。先人たちは戦いには敗れたかもしれないが、その態度において全世界で尊敬、信頼を残した。
これからの30年はこの信頼を価値に変える崖っぷちの戦いだ。
少子高齢化と政府の負債で身動きが取れない。
茹でガエルのようにいよいよ日本は苦しい状況になるだろう。
多くの産業と企業は縮むゆく市場と構造の中で、しぼんで消えるだろう。
大手取引や首都圏取引の価値はどんどん減る。
なぜならどちらも今までの取引構造を捨てようとしているからだ。
その中で、既存の枠組みから外れたアウトローだけが生き残り反映する。政治も経済も無視しているような産業である、オタクと言われたような麻生さんまで政治も一暼もしなかった産業が主役になる。そのなかに無視され続けた伝統工芸もあるだろう。外貨稼げるのは伝統と文化に根ざしたものも重要な中心となる。
でも今のままでは無理で、できることはこれら文化が殻を破ることだ。同じことをするのではなく、今一度顧客を見て、要望にあったサービスを柔軟に作ることだ。
オーダーメードで100倍の値段で売ってもいい。
1/100の値段で壁紙として売ってもいい。
値段もターゲットも顧客をよく見て変えた企業が残る。
それ以外の企業は資本金規模地域にかかわらず全部死ぬ。
私たちはカスタマーエクスペリエンスを大事にし、その内容を価値にすることに頑張ってくべきだ。もう1%以下の超スペシャリスト以外は、seoとか手法は捨てよう。
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