教えた生徒はまず信頼するけど

教えた生徒はまず信頼するけど

テキストが大詰めになってる。

どうすればより学びにつながる本になるのだろう。
初心者向けでありつつも、ベテランも一読の価値があるものになるだろう、というと、このような気づきを見つけては修正している。

ウェブ解析士を取得している人の価値の何割かはこのテキストの価値に依存している。このテキストが間違いだらけなら、その資格をとった人も間違いだらけだし、このテキストが古く避ければ、その資格を取った人も古臭い印象になる。

とっても大事なので慎重に扱いたい。でも有資格者には幅広くテキスト執筆者をつのっている。

慣れたディレクターに頼めばもっと楽に作れるかもしれない。あるいは親しい人だけに関わってもらう方が楽だろうなと思う。

でもそれをしていないで、あえて仕事を頼んだこともない人たちに幅広くテキスト執筆にもマスター講座で講義にも関わってもらってるのは、わたしが提供できる数少ない受講生への活躍の機会だからだ。

普通の人にとって書店に並ぶ書籍を書く機会は少ない。
その機会を受講者にもつくるためだ。

当然失敗はたくさんある。原稿が上がってこなかったり、無茶苦茶な校正されたり、喧嘩になったり、パワハラ言われたり(笑)。

それでも同じぐらい、この執筆をきっかけに別な本を書いたり、登壇したり、仕事につながってるから、役に立った人のことを考えると、多少傷ついてもやる価値はあるとまだ思えてる。

受講生はまず信頼することにしている。リスクが背負える範囲で機会を作ろうと思ってる。基本その人を信頼できるか判断できるまで、仕事はしないけど、その例外として受講生はおいている。

それで信頼できないと感じると関わないようにしている。1回目の仕事でリスクがある人は、その後もっとリスクが上がる事が多く、関わる人が犠牲になるからだ。

私はしょせん私の教育では受講生の仕事への姿勢は変えられないと思ってて、仕事への姿勢は教育の成績では測定できない。成績悪くても仕事できる人は多いし、成績良くても仕事は危うい人も多い。

本当のところ私の関わらない仕事ではすごく優秀かもしれないこともあるだろう。その能力を引き出せない私の問題はあるのだが、私の仕事やクライアントや関係者を大事にしないってことは関係者が迷惑してしまう。

わたしは教育者であるが、その前に社会人ではある。教え子だろうと誰だろうと関わってはいけない人と関わるほとタフではないですね。