高校受験の思い出をヤマもオチもなく書く

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ブログ更新めっきり減ってるように見えるかもだけど、実は日報として今はつかってて毎日書いている。でもこれは今受験してる人に伝えたくて、公開で久しぶりに書こうと思う。

息子の高校受験はあと1ヶ月を切っている。彼は難関高と呼ばれる学校に合格するため、受験を頑張っている。このブログは彼へのエールだ。

高校受験を体験するのは3回目だ。1回目は私自身。2回目は私の弟、江尻健太朗の受験のときだ。私は海城高校、弟の江尻健太朗は慶応日吉高校に合格している。客観的に言っても優秀な結果をのこしていると思う。

私が受験したときのことは「不確かな世の中で子供の教育を考えた」にブログに書いておいた。私が受験したときは平成になった年。平成は私の上京した時間だった蛍雪ゼミナールにもお世話になった。

弟は慶応日吉高校に行きたいと希望した。健太朗は私よりはるかに優秀で生徒会長で学年でも常に成績1番だったと思う。難関校受験まで、思いついたのが遅すぎて2ヶ月しか時間がなかった私と違い、受験まで1年程度準備期間をもつことができた。私は行きたくても行くことのできなかった春季や夏期講習を受けることだってできた。

しかし、東京の難関高では全く歯が立っていなかった。何をしていいか地元のどの塾もわかっていなかった。東京の公立の授業ですら福島と英語の授業時間は100時間差があると聞いていた。それは大きな差だったのだろう。

そこで私がほとんど親代わりになって長期休暇になると学習指導をることになった。夏期講習や冬季講習にどこで何を学び、どういう心持ちで受験に臨み、そしてどうやれば合格するかを指導していった。私も海城高校だから大学受験控えてて人のこと言ってる場合じゃなかったけどね。

真面目に健太朗は頑張っていたと思う。しかし成績につながらず入口に立てなかった。代ゼミの難関高クラスは選抜者しか入れないが彼はテストで入ることができなかった。学校で1番でも。でも、私はそのクラスにいて、学校にわざわざ福島から来たのだから、と直談判して何とか通わせてもらった。入口は開けることができたんじゃないだろうか。

そして、そのとき私が肌身離さず、弟にも進めていたのが、「志望校に必ず受かる方法ー君の潜在能力は偉大だ」だ。当時1988年発売した本がなぜか小名浜の「花春」の大きな看板が目印の書店「柏屋書店」で見つけた。あの本がなかったら今の私はいない。

余談だが柏屋書店。当時最寄りの大きな本屋はここだった。そしてマンガを立ち読みできる数少ない書店でもあった。当時塾の送り迎えの待ち合わせはいつもここで、マンガ立ち読みさせてもらって本当に助かった。6時間ぐらい迎え来ない時もあったっていうのに。そんな子供に立ち読みさせてもらって本当にありがとう。今考えたら怒りたかったろうな。ブラックジャックとか全巻読んじゃったし。

さて、この本、受験で無意識(潜在意識)を使うための本だった。合格のイメージを付け、感情を高め、そして無意識の力を使うこと。そう、コーチングで伝えるエフィカシーを高める方法だった。

あと読んだのは、3時間睡眠の方法。これはググったが見つからなかった。脳と体を適宜疲れさせ、内臓の負担を減らすことで睡眠を削る方法だった。受験で脳は勝手に疲れさせる。体はある程度運動する。そして内臓の負担を減らすため、油を減らし、玄米を食べるということで、玄米中心の食事を受験時やろうとした(が両親に不健康だと止められたw)。しかしせめて油分だけでも、と天ぷらとかとんかつとかは食べなかった。12時に寝て朝3時に起きる。3時に起きると、当時東京で住んでた北千住の近所の中華料理店ニュートントンがギリギリまだ開店している。そこでチャーハン食べる。これが美味かった。あのお店炒飯は美味かった。って、それ油じゃんw

高校受験は数学、英語が主戦場。特に英語。私は代ゼミでもらった英熟語だけをひたすらやった。1日300問を全部解く。これを毎日やればいい。それがよかった。乱暴でも毎日全部やる。少しづつだと前から忘れる。これは今受験する人にも進めたい。あと1ヶ月ないんだ。やるべきこと、とっておく暇はない。毎日読むべきとこ読もう。でもさ大学受験は3000語ぐらいになるんだよ。全然余裕だって。

数学はパターン。場数。それも多分数百問じゃないのかな。苦手なところを見つけて、そこを解いていく。それの繰り返しだった。中学受験の方が発想力問われてる気がしていて、高校受験は大学ほどの多岐に渡らないから、実はやるべきことが少ないと思っている。

私は一浪したあとなんで褒められたことでもないが、全部受かった。補欠で受かったのが第一志望だった早稲田高等学院と桐蔭理数。桐蔭は補欠で入れるところまで行ったが、早稲田高等学院は二次論文面接で落ちた。あとで父からは入れようと思えば入れることもできたとも聞いたが、まあ当時は入れなかった。

弟は対局的で全部落ちた。補欠だったのが慶應日吉高校だった。面接があるということだったのだが、健太朗から相談されたのは本のことだった。彼は本を読むのが好きではなかった。多分あの志望校の本も読んでなくて私から聞いただけだったんじゃないかと思う。今は治ったんだろうけどね。

それで高校生ながら1冊選ぶなら何か、と考えて、なぜか武者小路実篤の「新しき村」の話を選んだ。「新しき村への対話」だったと思うのだが、何かの論説の1部だったのか、そのような書籍は見つからない。

余談だが、新しき村って当時本当にあるのか全然知らなかったのだが、新しき村って本当にあったのね。しかも現存

田舎から出てきた中学生が出せる魅力は素朴しかない。そこでこの理想論ユートピアを語るのがいいんじゃないかと思ったんだと思う。今考えるとよくこんなの私読んでたなと思う。

これが当たった。面接の先生が武者小路実篤を好きだったとも聞いている。そして色々熱く話してくれたのだと聞いている。面接官が語ってる分には落ちるリスクはない。そして人生とは何かと聞かれて「試練」と答えたらしい。これは私が教えていない。この言葉がでてきた弟は天才だと思った。

ーなんて過去の思い出をヤマもオチもなく書いてきた。1月18日の朝5時からなぜか一人部屋でブログ書いているんだよね。

そして私も健太朗も幸せだったのは、親が周りにいなくて、誰も「勉強しろ」みたいなことを言われなかったことだった。私たちは自分の意志で学んでいた。無意識を使うことができた。勉強しろ、ほど勉強したくなくなる言葉はない。でも心配心で親は言う。それは自分の不安をぶつけているだけだ。

私は息子に自分がしていたことと、同じことをしている。勉強しろではなく、勉強したあとの自分の成長を夢見させる。勉強した先の未来を描く。勉強し目的達成した喜びを先取りする。それだってお父さんお母さんが与えることができる。受験生を抱えたお母さんお父さん、今からやってみませんか?

受験なんて所詮人生の通過点。受験受かったって落ちたって人生それで終わるわけじゃない。所詮受験、されど受験。人生で何かに真剣に打ち込んで何かを成し遂げるという一つのとてもわかりやすく、成果の見えやすいチャレンジだと思う。このあとたくさんの学びとチャレンジをする上で、受験はとてもいい試練だしチャンスだ。

だから自分が夢を実現する姿を考えながら思いっきり頑張ったらいいよね。息子も含めて受験生の皆さま、楽しんで♪

投稿日:
カテゴリー: thinking

作成者: Toshiaki Ejiri

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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