練馬はウェブ解析発祥の地だ。前編
- 2020.06.11
- thinking
この素敵なブログを読んでて、創業の地は練馬だったことを思い出した。そこでまた山も落ちもなく書いていく。
最初会社起こしたときは2月1日。光が丘にある自宅だった。中小企業の成果につながるインターネットマーケティングを考え、アクセスログ解析を軸にしようと考えたが、何も実績も経験もなかったので3ヶ月企業を飛び込んでアンケート調査をしてた。
その中でウェブの制作の案件やコンサルティングとも言えないような相談をうけて収益がある程度見えたので、とても安定とは言えなかったが、オフィスを借りた。それがハイライフ桜台。たしか802号室だったんじゃないかな。
2ルームぐらいのアパートで、クーラーが効かなかったが風通しが良くて窓を開ければなんとかなった。
しかし隣でマンション工事がはじまり防音防振対策をしたときは窓を全部閉じたので相当しんどかった。
この頃入ったプログラマーがアクセス刑事をつくってくれた。相当優秀で、入社して「何作る?」とコックさんみたいな言われたので「じゃアクセス解析!」とオーダーしたのだった。それまではあの有名なNet surf resqueとかKent webのCGIをつかっていたのだ。どっちも一長一短があって毎回両方を見なければならなかった。
本当優秀で2週間ぐらいで完成させた。それではと、自分たちだけじゃなく、CGIを配ろうとしたら、サポートが大変だ、ということになった。じゃ画像だけ送ってプログラムサーバにおけばいいんじゃないか?という話になった。じゃどんなサービスにしようか?
当時アクセスアナライザーみたいなかっこいいのが多かったので、ゆるい名前にしようと、アクセス忍者(!)、アクセス刑事、アクセスGメンとかの中でアクセス刑事にした。アクセスGメンにしてたら20代は全くわからなかったかもしれない。
無料で配るんだからお役に立つ情報としてメディアが取り上げてくれるかもしれないと言う話になり、そのプログラマの元同僚がPR得意ということで頂いたリストにPRを送ったら日経産業新聞に掲載いただけた。有限会社環初プレスリリースだ。
そのPRが得意な玉木さんはコミュニケーションデザイン株式会社の社長。今軽々しく話しかけられないけど、当時はマスメディアリストいただけるようなフランクな関係だった。
はずかしいことに、リリースした後でメディアの対応から、これがASPだとあとで気づいた。そして結構人気が出た。
調子乗って携帯対応もつくった。バナーは有料にしてもらいたくダサいのにしたのだが、ある日デザイナーの人からバナーがガラケーにはおもすぎるからなんとか軽くしてくれとのクレームが入った。じゃあなたが作ってくれ、とお願いしたら素敵なバナーができた。
ユーザー数は増えていった。サーバーを強化して対応したが、毎年固定費が増えていった。
つづく
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