昭和・平成の階級社会

日本では江戸時代士農工商という身分制度があったといわれている。どうも本当はなかったようで、単なる職業分類ですらないであったようだが、今の日本には身分制度があるのかもしれない。大手企業における総合職、一般職、契約社員、派遣社員だ。

わたしはこれらの職種の境界線は能力次第で超えられるものだと思っていた。でもどうやら違うようで、大手企業では契約社員や派遣社員は決められたこと以外する機会がないのだそうだ。

派遣社員はそういう契約なので仕方がない点もあるが、契約社員まで厳格に役割が決められているのだということを聞いて、私のイメージと相当異なるということが分かった。だから正社員以外の人は中々より上位の仕事にチャレンジすることは難しい。このことが優秀な人材が活躍する機会を損ねてしまっているのだと、話していた。

でもこの身分制度は根深くて、良い学校にいくとか、就職活動で人気企業に行くとか、そういうブランド志向が根っこにある。子供でもわかる簡単なことだが、学校は学びたいことが学べるところに行けばいいし、仕事は働きやすくて働きがいのある会社に行けばいいという、でも有名大学、有名企業というランキングがあり、その上下でいいとか悪いとか評価される風習が未だ残っている。それが身分制度の打開のハードルになる。

もちろんこの制度全く無駄とは言い切れず、優秀な学校の人は優秀であることが多いし、ストレス耐性も高い。大手企業の人と話すと確かに優秀で、サラリーマンでよくそこまで高い視座で仕事できるな、と関心することもよくある。

だからいま身分社会で「高い身分」の人がダメだという気はないが、怖いのは階級が固定され、その階級から下がることを恐れすぎることから、一人ひとりのもつ本来の良さを失ってしまうことだ。

組織に残らないと落ちぶれたと言われるからやりたくない仕事もやるし、バカみたいなプロジェクトも頑張らなくてはならない。そこにとどまるために、生産性のない仕事も我慢しなければならない。それが蔓延して、いまや先進国でトップクラスの生産性の低い国になったのだと思う。

でも誰もが分かる通り大手企業なんてあっという間に衰退する。どの組織で残ろうと踏ん張っても、その組織が壊れていく中で、柔軟性をもってどこでも行ける人にならないと価値がなくなる。

昭和・平成の階級社会と後年の歴史では言われるかもしれない。硬直した日本の問題点の根本の一つがここだと思う。このことをわかってる人のほうが多いだろう。

あなたはもっと早く、柔軟な頭のうちに外に飛び出すべきではないだろうか。

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ejtter

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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