力になりたくてもなれない日曜日

autumn fallen leaves on gravestone
Photo by Maria Orlova on Pexels.com

日曜には、仙台から、地元いわきに向かった。最近やっと開通した常磐線で向かった。本当は前日にいわきに入りたかったが、夕方7時以降だと郡山経由で入るしかなく公共交通機関を使うと、朝5時になるということでレンタカーを乗り捨てで借りるつもりだった。しかし、寒波が来ていて、雪の心配もあり大事を取って日曜朝向かうことにした。

朝10時13分発のひたちは、コロナの影響下、他と同様空いていた。途中で単線運行のため停車した。まだ震災の被害は完全には回復していない。

湯本についた。今日は告別式に参加するためだった。

湯本は寒かった。通行人も、今日は寒いですね、などと話していた。

私は亡くなられた奥様のご主人にお世話になっていた。震災直後、四倉の被災した飲食店を支援するために夜明け市場を立ち上げ、地元と観光客が飲食を楽しむ場所を立ち上げた。近隣の様々な衝突や、開店までの苦労を乗り越えて、すばらしい成功事例を作っていた。私も立ち上げ初期、微力ながらお手伝いをしていた。

そのあと、ご自身で地元の公園を軸にした地域活性化のイベントを開催していた。いわきの地元の人なら分かると思うが、いまいわきの町の活気は劇的に下がってきている。この状況を危惧し、地元のさまざまな面倒な調整を行いながらプロジェクトを進めてきた。

その活動の間、奥様が闘病生活をおくられているとはしらなかった。このブログ「妊娠中に大腸がんになっちゃったよ。オストメイトな私の日々。」からその奥様のご尽力を伺うことができる。

小さなお子様を思い、最後の最後まで諦めずに頑張ってきた奥様のお気持ちと、支えてきたご主人のことを考えた。とても気がかりだったろうし、生きたかっただろう。子どもたちだってみんなそう願っているはずだ。

私が何かできないかと思った。ご主人の祈ってください、とのメッセージを見るまで、その状況をきちんと理解することができていなかった。何かできたはず。私としてはガンの患者のコミュニティ「がんノート」の岸田さんを伝えることなどできたはずだった。

結局何も力にならなかったのだが、せめて励ましをしようと告別式に来たのだった。弟さんとお母様がいらっしゃって、ご縁をお伝えしてお線香をあげさせてもらった。やはり何かできたわけではないが、いまなにもできなくても、どこかで力に慣れればと思う。

こんな時期にウロウロしてて不謹慎に思う人もいるだろう。しかしこんな時期に今後の方向性を知りたい経営者に私の経験談を仙台で直接伝えたこと、湯本に大切な人のを慰めに行った。これらは私にとって、こんな時期だからこそ伺わなければならないと思ったのだった。

湯本から帰路で、電話があり、母が病院に運ばれたことを知った。電話があり、容態が良くないとは聞いていたが、いそぎ病院に向かった。母はガンを同じく患わっている。送れて弟夫婦と父がきて病院で状況を聞いた。

日曜日だったため明日詳しいことを聴くことになりそうだ。

作成者: ejtter

Born in Fukushima, working as web analytics consultant since 2000.

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