知行合一

知行合一

日本は他の東アジアの国々と同様、中国をルーツとする儒学が倫理の基本となっていました。その中でも中国で生まれ、日本で独特の発展をした儒学の一派が陽明学です。どの国でも封建主義に親和性の高い朱子学を国学としていましたが、日本では陽明学が発展しました。この陽明学が明治維新やその後の日本の運命を変えたと言えます。

陽明学はすべての人の心の中にすでに正しい理(ことわり)は備わってて(心即理)、その各人はその正しい理を実現すること(致良知)としています。

そこで重要なことは「知行合一」です。

知ってることと行動が同一であるべきだということなのですが、転じて自分が(正しいことを)知ってると思っていても、自分がその正しいことに沿った行動ができていなければ、それは知らないこと一緒である、ということも指します。

明治維新では、多くの志士が陽明学を学んでいました。そのため信念と行動を一致させることに努力をしたのです。この学者のように知ってるだけの学者のような人を軽んじる風潮が背中を押すことになりました。

2.顧客主義を貫き、行動します

ウェブ解析の技術や人の行動から気持ちを知る技術です。その技術を知るためだけに生かしては知らないに等しいことです。その真理は、ただレポートとして伝えることだけではなく、自分が動き、人を動かしてこそ「ウェブ解析を知る」ことだと考えます。

アナリストやデータを解析する担当は集計しレポートをつくることが仕事だと思われがちです。たしかにデータ、その根本である数字は大きなパワーを持っていて、立場や年齢を超えて人を動かすパワーをもっていました。

日本のカイゼン活動で行われたQCサークルでは数値化を重視しています。現場の数値を集め、ばらつきをグラフにし、関係者に発表することで、会社の生産調整や現場の職権を超えたカイゼンを可能としました。

数字は別にレポートにしなくてもいいのです。ツールの画面を見せてもいい、現場でメーターを見せてもいい。そんな形式体なレポートの成形に時間を使わず。この数字の力をつかって、人を動かしましょう。

そして以下も当てはまります。

5.誰もが機会を得るため、実務と教育を両立します

教わったこと、教えてることを仕事の姿勢が一致していることも知行一致です。ウェブ解析士の講座は安く有りません。高いお金をいただいて教えています。その中で、それも私達が教え、行動する対象はいま学ぶ機会がなかったり、学ぶ余裕がない人たちです。

なぜわたしたちは機会がない、余裕がない人にベクトルを向かわせなければいけないのでしょうか。

それは中庸であるためです。この技術はデータやインターネットを中心にしたものであるため、その内容は専門的な要素を含むことは間違い有りません。しかし私達が知るべきなのは、普通の消費者や人です。技術に溺れるあまり、自分の関心が人の関心だと誤解し、誤った判断や解釈をしてしまうことは避けたいところです。私達はどこまでいってもありのままのユーザーの判断や意思をうけいれなければいけません。

インターネットやデータに価値を感じ、関心を持っている人たちが全てでは有りません。そういう仕事をし、そういう人たちと接する機会が多いからこそ、機会がない、余裕がない、データやインターネットに触れる機会が少ない人と向かいうことが自分を偏りのない人間である=中庸である必要なアンカーであると思います。