教材をつくることはエンターテイメントを設計すること

教材をつくることはエンターテイメントを設計すること

テキストは初心者向けに体系的に、実践的にと伝えた。教材とはプレゼン資料なり、動画なり、オンデマンドシステムなり、なんでもいい。教える仕組みだ。ここはここではまた別なものが求められる。

教材はとっつきやすくなければいけない。つまりフレンドリーである必要がある。
テキスト見て学べる人に教材はいらないかもしれない、苦手な人が一歩を踏むために教材がある。フレンドリーに、まずは誰でもわかるところから始め、その受講生の活動に報酬を与えることから始まる。褒められたり、なにかいいことがあったり。学ぶと良いことがある、そんなことから学習始まる。

次に、教材は学べなければならない。学ぶことが価値がないなら教材は単なる時間つぶしにになる。裏を返せば学ぶことがないことならそれはやるべきではないということだ。単なる作業や調整のために受講生が時間を浪費することは学べるという基準に反する。

最後に教材は自信をつけさせなければならない。
実務をいきなり初学者にぶつければ必ず失望するだろう。そこで教材は段階をおって実務経験をもたせ、最後は教材の延長線で実務をこなせるという自信をつけてもらう必要がある

そのレベルを期待すると教育を離れ実践に踏み込むことが出てくる。実践になる前に実践に近い教育、ロールプレイなりエキシビジョンなり模擬戦をして、そこで上手になるというハードルを超える必要がある。理想的な教育はシュミレーションなりバーチャルなり、実践に近いワークを何度か繰り返し、実務でパニックにならない場数を踏ませる必要がある。多分できれば実務のほうが本当は自分はもっとうまくできるのに、と思ってもらうぐらいが丁度いい。

その結果短期的には教育の価値を受講生は感じてくれないかもしれないが、長期的、あるいはその人と仕事をする組織では実務経験に近い体験による対応実績は少なからずプラスになるだろうし、そこで合わない人が早めにジョブチェンジする可能性もつくれるだろう。

総じて、教材は、ゲーム娯楽芸能にちかいエンターテイメントであるべきである。そこに楽しそうな入り口があり、関心する内容があり、そして自分ができると思わせること、ゲームが一番近いだろう。そんなことが求められる。

書籍、テキスト、教材をつくることを3日間で伝えたけど、どれもオーディエンスファーストであるべきであり、書く側や教える側がファーストではない。筆者も教育者も過去の経験や体験にこだわってしまいがちだが、オーディエンスに最適だと思ったり、いらないと思えば大きく変えたり、バッサリ捨てることが求められる。すくなくとも私はウェブ解析士というしがない民間資格を作ってしまった以上、常に受講生にとって楽しく、役立つものをつくるためにはあらゆる方法も考えて実践しようと思っている。

ウェブ解析士の中でカリキュラムに協力してくれる方はこのことに共感してることを前提としたい。